
掲載日:2023年1月18日
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体験記
戦争の記憶を風化させることなく、一人ひとりが平和の尊さを見つめ直し、次世代へと語り継ぐため、当時、区内で空襲により被災された方々の体験や家族と離ればなれになり疎開された方々の貴重な体験をご紹介します。
以下から、ご覧になりたい体験記を選んでください。
空襲体験
- 人形町から宮城前広場へ
 - 防空壕に焼夷弾の直撃
 - 私と戦争
 - 泰明小学校で直撃弾
 - 爆撃された泰明国民学校を見舞う
 - 人が空から降ってきた
 - 深川地区の惨状に思う
 - 横山町で2度も焼かれる
 - 木挽町から宮城前に逃げる
 - 蛎殻町で焼かれ、広島で原爆被災
 - 目の前で焼夷弾が炸裂
 - 隅田川に流れる死体
 - あの夜の空は美しかった
 - 築地で消火活動
 - 警備召集で留守の間に焼ける
 - 終戦直前の空襲で
 - 出産の翌日、嬰児と防空壕へ
 - 空腹に響いたB29の爆音
 - 明治座地下に入れず、助かる
 - 百余軒の貸家を失う
 - 学童疎開する友を見送って
 - 隅田川の網船も燃えた
 - 鉄筋のビルで焼けずにすんだ
 - 火炎が川を渡ってやってきた
 - 戦争と私
 - 茅場町の理髪店
 - 1945年-20歳の頃-
 
戦時下の生活体験
- 戦争くらい悲惨なものはない
 - 戦争の思い出
 - 思い起こす戦争体験記
 - 配給切符だけで生活するのは大変だった
 - 戦争が終わった時、町が明るくなった
 - 家を守り家族を守ることが私の使命だった
 - 甘酒横丁の焼跡に畑があった
 - 戦時下での生活
 - 戦争被害体験記
 - 非常時
 - 商売では食べていけなかった時代
 - もっとも苦しかったのは戦時下より戦後
 - 材料と人手不足で鯛焼き屋を休業
 - 戦中派と言われる私の体験
 - 実戦には役立たなかった防火訓練
 - 苦しかった体験は現在の励み
 - うすれかけた記憶から
 - 思い出すままに
 - 戦時下に生きて
 
学童疎開体験
- 農家に分宿して腹一杯のご飯を
 - 人間、孤立していてはだめ
 - 戦争で1番傷つき、消耗したのは、世界中の母親だった
 - 疎開先ではびっくりすることばかり
 - スフの国民服と地下足袋で
 - 疎開生活は、その後の人生を変えた
 - 当時の子供たちはたくましかった
 - 同じ苦労をともにした仲間たちのつながり
 - 疎開先の方々の暖かい心に感謝
 - 雨の日は裸足で通学
 - おねしょをする子が多かった
 - シラミ取りの時間
 - みんな和気あいあいと家族同然に
 - 疎開先の牛乳